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三宝製薬株式会社 |
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| ●トフメルの誕生 三宝製薬は1932年(昭和7年)1月、「トフメル本舗」として東京都新宿区百人町に創立され、1939年(昭和14年)12月三宝製薬株式会社に改組、1943年(昭和18年)11月本社を現在の新宿区下落合に移転し、昨年で75周年を迎えることができました。 創業者の渡邊久吉は、苦学して入った旧制山形高等学校(現在の山形大学)をひょんなことで退学となり、花が好きだったことから自分で花屋を始めました。しかし、その花屋の経営が順調になりだした頃、当時兄が開業(新宿区百人町)していた病院の経営が苦しくなり、花屋を諦め兄の病院を手伝うこととなりました。一年もすると病院の経営も黒字となりましたが、借金の元金を返済するまでには至らず、他の収入を考えました。 |
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幸い病院で作っていた外用剤で「いろいろな皮膚症状に効き目がある」と評判だった「赤軟膏」があり、これを「家庭の常備薬」として売り出すことを考えました。その話を兄にすると「医者がクスリを売るのか!」と反対されましたが、説得の末承諾してもらい、兄の名義で当時の売薬許可をとり、これを〔塗布する〕の「トフ」と〔melt(メルト):固体が熱で溶ける〕の「メル」から「トフメル」と名付けて売り出すこととなりました。これが「トフメルA」の始まりであり、三宝製薬の歴史の始まりでもあるのです。 |
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●戦時中の苦労
人も増えトフメルの販売も順調になった頃、戦争がいよいよ本格化してきました。原料資材の購入も困難になり、トフメルの基剤であるラノリンなどは自社で精製し、原材料倉庫は分散させ、戦時体制を整えていきました。しかしその努力の甲斐無く、度重なる空襲でそれも全て灰となってしまいました。そして完全に灰になった本社工場跡地でまさにゼロからの再出発をしました。当時の社員の努力で焼け野原から廃材を集め掘っ立て小屋の事務所を作り、防空壕に焼け跡に残っていた製造機器を置き、不完全ながらも何とかトフメルの製造を再開しました。 ●戦後の復興と決断 こうしてトフメルの生産も順調になってきた頃、戦時中の統制販売は終わりましたが、自由価格による販売は許されず定価は○公価格が指示されていました。終戦後物価が急速に上昇し、原材料の不足と値上がりで○公価格の維持には非常に苦労しました。 |
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しばらくすると○公価格も廃止される事となりましたが、三宝製薬には統制販売で全国どこの薬局・薬店にも置かれているトフメルや他の製品を戦前の特約店方式に戻すか、あるいはこのままどこの薬局・薬店でも売れるようにするか、その後の三宝製薬の運命を決める重大な決断をしなければならない時期でもありました。ここで創業者である渡邊久吉は創業当時お得意様から信頼を受けた販売方法である特約店方式に戻す決断をして、今日の三宝製薬の土台をつくりました。
●トフメルAとは ところでトフメルAとはどういう薬なのでしょうか。外傷用軟膏と一言で言ってしまえばそれまでですが、効能・効果にはうたえないものの、昔から傷ややけどの治りが早く、しかも跡が残らないと評判で、赤ちゃんのオムツかぶれ、子どものすり傷・きり傷、お母さんの手あれ、お父さんのひげそり後・かかとのひび割れ、お年寄りの床ずれ、やけどなど、まさに赤ちゃんからお年寄りまで家庭に無くてはならない常備薬として現在でも多くの方にご愛用いただいております。 |
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●トフメルAの秘密
トフメルAの成分は、主要基剤であるラノリンと酸化亜鉛以外は発売当時のものとかなり変更されています。しかし、トフメルの効き目の秘密は何と言っても軟膏の基となる基剤:ラノリンにあります。 ラノリンは羊が皮膚と毛を守るために分泌する皮脂で、人の皮脂に近い組成でできています。羊の皮膚から分泌されるラノリンが毎日少しずつ羊毛に付着し、羊毛を刈り取る時期になるとラノリンはベタツクほどたくさん付着しています。羊毛を刈り取ってウールに仕上げる際に副産物として回収される皮脂(ウールグリース)、それがラノリンなのです。 |
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古代ギリシャ時代では、ラノリンは皮膚のシワ防止剤として貴族社会の必需品として重宝されました。「羊飼いの肌は透き通るほどきれいでシワがない」ことから、「ラノリンをつけるとシワにならない」との噂が広まるほどだったのです。
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