龍角散

株式会社龍角散 

 

■2世紀の伝統
 龍角散は今からほぼ200年前、東北地方有数の武家であった佐竹藩(現在の秋田地方)20万5千石の藩薬として使用されていました。佐竹藩代々の御典医であった藤井家の玄淵によって藩薬として文政年間に創製されたのです。2代目藤井玄信は蘭学を学び、漢方薬のベースに西洋生薬を取り入れて改良しました。


桐箱に入った龍角散

さらに、明治初期の著名な医者でもあった3代目藤井正亭治(ふじい しょうていじ)が、藩主である佐竹義堯侯の典医であった時、藩主の持病であったぜん息を治すため長崎で蘭学を修めて帰藩し、藩薬の龍角散をぜん息の処方に改良し、龍角散処方の基礎を確立したとされています。隆盛を極めていた徳川支配も終わり、廃藩置県が施行されて、藩薬であった龍角散は典医である藤井家に下賜されました。君侯と共に江戸に進出した正亭治は明治4年に薬種御用商となり、下賜された龍角散を一般薬として販売する事となりました。桐箱に収められた龍角散はたちまち大ヒット商品になったとのことです。
■1世紀におよぶ変わらぬ処方
 正亭治の長男・得三郎(とくさぶろう)は衛生試験所(東京大学薬学部の前身)に学んだ薬剤師でした。彼はここでドイツ人技官ランガルトから製剤技術を学び、龍角散の大きな特徴である細かい微粉末状の製剤を完成させました。明治27年の事で、これが現在の処方になったのです。


明治時代の新聞広告


販売店に飾られた金看板

■微粉末に特徴
 龍角散の主剤は全て生薬。剤型の由来は数千年の歴史を持つ中国医学に見ることができます。痰を切ったりノドの炎症を抑える事を目的とした
「吹喉散」に代表される吹葯
(吹薬)がそれです。
龍角散の微粉末は水なしで服用し、ノドの粘膜に直接作用させて咳を鎮め、痰を切り、ノドの炎症を鎮める目的としているので、吹薬と一致しているのです。
ちなみに龍角散の薬名は、初期の処方に「龍骨」「鹿角霜」 「龍脳」が使われたことに由来しています。
 
■現代医学・薬学による証明
 時は移り昭和38年。大阪大学の研究室に在籍していた藤井康男(ふじいやすお=前会長)は、父である2代目得三郎から「龍角散の科学的裏付けの検証」を依頼されます。康男は直ちに龍角散の処方の見直しと改良を加えるため、3つの専門機関に研究を依頼しました。ところが返ってきた答えは全て「このままが最上。一切手を加えるべからず。」でした。龍角散の「咳を鎮め、痰を切る」有用性は、100年以上もの間多くの人々に使用される事で経験的に実証され、現代の医学・薬学によっても証明されているのです。

■‘ゴホン!といえば龍角散’


現在の龍角散

「ゴホン!といえば龍角散」のキャッチフレーズで全国の人々に親しまれてきた龍角散は、約200年にわたって“日本のノド”を守ってきました。環境や生活様式がめまぐるしく変化する現代において、多くの方々からいただいた信頼を21世紀に伝えるために、「温故知新」こそが新しいと考えています。