中将湯
      〜中将姫の伝説とともに〜

                 株式会社ツムラ

ロングセラー商品
中将湯は、ツムラ創業以来100年以上の長きにわたって販売され続けているロングセラー商品であり、現在のツムラの礎を築いた商品でもあります。
初代津村重舎(現ツムラの前身・津村順天堂の創業者)が東京・日本橋に「中将湯本舗津村順天堂」の看板をかかげたのは、明治26年(1893年)のことでした。
そもそも中将湯は、初代津村重舎の母の実家である藤村家(奈良県)に代々伝わる婦人病の妙薬でした。この薬の由来は、能や浄瑠璃に演じられてきた「中将姫伝説」にはじまります。

中将姫伝説
天平19年(747年)、藤原鎌足の曾孫である藤原豊成とその妻、紫の前との間に待望の女の子が生まれ、中将姫と名づけられました。しかし、姫が5歳の時母が亡くなり父は後妻を迎えましたが継母は姫を憎み、ついには殺害を企てるようになりました。姫が14歳の時、継母は家臣に中将姫を殺すように命じましたが、心優しい姫を殺せなかった家臣は、ひばり山・青蓮寺に姫を隠しました。
翌年、父に発見され都に連れ戻された姫は、世上の栄華を望まず、当麻寺に入って仏の道に仕えることを決心しました。
この中将姫がひばり山で最初に身を寄せたのが、前述の藤村家といわれ、それを契機に交流が始まり、婦人病に良く効く秘薬を藤村家に伝え、それが藤村家家伝の薬・中将湯になったということです。
婦人薬中将湯の誕生
初代津村重舎が東京で初めて自分の店を持つに当たって、中将湯を大きく売り物にしたのは賢明でした。文明開化の名の下に日本のあらゆる伝統文化が否定され、西洋の物なら何でも迎えられるという風潮も、明治の20年代も半ばを過ぎると反省期に入って、日本古来のものの価値が改めて見直されるようになっていました。このような時代の中、中将湯は、民衆の中に潜在していた古いものへの郷愁を掘り起こすことになったのです。
また、発売された中将湯は医学博士で産婦人科専門の佐伯理一郎先生の手によって、漢方でいう「虚証」「実証」どちらのタイプの人でも服用できるように改良されていたので、幅広くたくさんの方に愛用されることになりました。


中将湯広告(明治39年)

中将姫マーク
中将湯が広く一般に親しまれた大きな要因として、あの華麗な花かんざしをさした中将姫マークをあげることができます。中将姫マークも時代の変化にともない微妙な描き分けがあって、初期から今日に至るまで順に並べてみますと、一つとして同じものはありませんが、永年にわたり津村順天堂のシンボルマークとして使用され、株式会社ツムラとなった後もメモリアルマークとして残り、今でも中将湯のパッケージにその姿を見ることができます。

(中将姫マークの変遷)


▲明治時代

▲大正〜昭和初期

▲昭和初期〜戦後

▲戦後〜昭和37年10月

▲昭和37年10月〜現在


世紀を越えて・・・
中将湯は、発売から100年を経過した現在も販売され続け、中将湯を錠剤化したラムール、ラムールにビタミンなどを加えたラムールQ、そして中将湯をティーバック化した中将湯ティータイプ等とともに、国内にとどまらず海外にも輸出され、世界の人々に愛されています。

中将湯に始まる漢方を原点としたツムラの活動は、世紀を越えて続きます。