〈救心〉の製造元・救心製薬が製薬業としての礎をなしたのは大正の初め頃ですが、〈救心〉の医薬としての起源は古く、遠く奈良・天平の時代に遡ります。

●修二会御薬と〈救心〉

天平の文化を今に伝えている奈良・東大寺。お水取りで知られる「修二会(しゅにえ)」の行は、千二百年の長きにわたって一度も途絶えることなく今日まで続けられている伝統行です。 荒行のゆえに修行僧は体調を崩すことも稀ではありませんが、行の途中で医師にかかることは許されません。唯一許されているのが漢方薬、すなわち修二会御薬とよばれる麝香牛黄製剤の服用なのです。 わが国漢方界の重鎮で、宮内庁より委嘱されて正倉院の薬物調査などにも立ち会った渡邊武博士によると、処方上この修二会御薬こそが〈救心〉の原点ではないかと述べています。そして〈救心〉の主要成分である麝香は正倉院御庫に当時の貴重な薬物として納められ、千二百年の時を経て今なお宝蔵されているのです。

 

 

●信仰と牛黄

信仰の地として千年の歴史を持つ熊野本宮大社や東大寺では、今も牛王宝印と呼ばれる護符を参拝者に授けています。これは〈救心〉の主要成分である牛黄を墨に混ぜて刷り上げるのです。牛黄があらゆる病魔を取り除く絶対的な力を持つとされ、人々の牛黄に寄せる信頼の大きさを物語っています。

PR映画『伝統を科学する』より

 

●印籠と〈救心〉

渡邊武博士によると、江戸時代末期、武士が携行した印籠には、一般的に二種類の丸薬が納められていたとされています。一つは〈救心〉に類似した処方、すなわち強心成分である蟾酥が配合され、丸薬の周りには銀箔が施されていました。もう一つはこれも伝統薬として知られる感應丸によく似た処方で、金箔がかけられていたものです。長道中での日射病、食あたり、水あたり、かぜひき、腹下しといったあらゆる急病、万病に対しこの二剤で対処していたとされています。

●万能薬としての期待

こうした麝香牛黄製剤の研究を続け、自ら修二会御薬を数十年にわたって修行僧に提供してきた渡邊武博士は、本来〈救心〉の薬能は強心、強肝、解毒、鎮痛、鎮静、鎮痙、健胃、整腸、疲労回復の多岐にわたるとしています。天平の昔から万能薬としての働きを遺憾なく発揮し、信頼されてきた麝香牛黄製剤が、〈救心〉を含め現在は「どうき、息切れ、気つけ」という三つの効能に限定されていることについて、同博士は、薬が持つ本来の良さを十分に生かしきれておらず残念なこと、とも述べています。

●家伝薬「一粒ぐすり」

救心製薬は創業者の堀正由が富山から堀家に伝わる「一粒ぐすり」を携えて上京し、東京・浅草で大道薬売りの第一声を挙げたことに始まります。努力と苦労のかいがあり徐々に信用と評判を生んで、浅草・田島町に店舗を構えるようになったのです。

 

●適応を表現したネーミング

当初は通信販売や来店者に対する店頭販売を行っていましたが、愛用者拡大の兆しが見え始めると、広告による販路の拡張に乗り出しました。新聞・雑誌、特に婦人雑誌を手始めにマスコミを積極的に利用した結果、〈救心〉というネーミングの良さも手伝って、次第に有名ブランドに成長していったのです。

●〈救心〉と広告タレント

〈救心〉をより多くの人に知ってもらうため、救心製薬ではエノケン、古川ロッパ、柳家金語楼、横綱の大鵬や村田英雄など当時の大物タレントを雑誌、新聞広告に積極的に起用したのです。その後テレビが一般化してきた昭和40年代初め頃からはテレビ広告も開始し、「七人の刑事」などに出演していた佐藤英夫、昭和50年からは女優の丘みつ子の二人をメインのCMタレントとして展開しました。平成5年からは“安心と信頼”イメージの誠実派俳優の児玉清を起用、平成13年からは「水戸黄門」の“格さん”役でお馴染みの俳優、伊吹吾郎を、さらに平成15年からはNHK大河ドラマ「徳川家康」の主役をはじめ、数々のドラマや「レ・ミゼラブル」などの舞台でも活躍している滝田栄を起用、今日に至っています。   

●伝統薬を現代に生かす努力

伝統薬や家庭薬というと、歴史の古さのみが薬効の証とされているような傾向が見受けられます。しかし、経験に科学の裏付けが伴ってこそ初めて伝統薬の良さを生かすことができるとの考えにより、当社では昭和30年代から、フランスのソルボンヌ大学や国内の国・公・私立大学などの医療機関において前臨床試験、臨床試験を重ね、さらに近年、伝統薬としては世界で初めての代謝実験にも成功しており、薬効の確認と安全性の確立に力を注いでいます。

●世のため人のため

一握りの高貴な人たちのものであった麝香や牛黄などを一粒の薬に融合して、一人でも多くの人々に恩恵をもたらしたいと考え、生み出された〈救心〉。この小さな粒には幾多の経験と科学、そして「世のため人のため」の理念のもとに、人々の健康を願う救心製薬の気持ちが込められているのです。

故・柳家金語楼
(昭和30〜35年)
故・村田英雄
(昭和41年)

佐藤英夫
(昭和41年〜平成3年)

「丘みつ子」
(昭和51年〜平成9年)
児玉 清
(平成5年〜13年)
「伊吹吾郎」
(平成13年〜14年)
「滝田栄」
(平成15年〜)