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●イチジク浣腸の誕生
イチジク浣腸は、大正14年に田村廿三郎医 師自身の経験から「イチジク印軽便浣腸」とし て考案されました。 イチジク製薬株式会社は、大正15年、合資会社東京軽便浣腸製造所として設立し、田村廿三郎医師が初代社長に就任しました。
廿三郎は東京下町の医院で、便秘が原因の子供の発熱やひきつけの夜間急患に振り回されていました。その頃の浣腸は、太い注射筒 に薬液を詰めた物で、医師によってのみ注入されるものでした。子供たちの苦しみを一刻でも早く取り除きたいという思いから、仲間の
医師たちとともに、家庭で手軽に使用できる浣腸器の開発を始めました。
当時は、現在のようにポリエチレンが手に入らないため、簡単に加工できるセルロイドを使 用していましたが、きめの粗さから中の液が漏れてしまうという欠点がありました。また、技術的にも挿入部を滑らかに加工するのは難しく、
技術の向上を余儀なくされました。
こうして数年の歳月をかけて液漏れ防止のために薄い皮膜をかぶせ、加工技術を洗練したことにより滑らかな挿入部に仕上がった満 足のいく商品ができあがりました。
●名称の由来各説
命名の由来は、無花果(イチジク)の実(実際には花托−かたく−ですが)を見て形が似ていることから名付けられたという説が有力ですが、この他にもいくつかの諸説が存在しています。
その内の2、3をあげますと、
イチジクの乾実は和漢薬の緩下剤として用いられていることより命名されたとの説。
イチジクの果実が熱するのが早いことにより、浣腸の速効性を連想さ せるために命名されたとの説。
などがあります。 |
| いずれにしても「イチジク印の軽便浣腸」の名称は、形状がイチジクの実に似ていること、アットホームな心温まる響きとともに、何にもま
して非常に覚えやすいネーミングとして日本全国に“浣腸=イチジク“と言われるまでに広く知れ渡っていきました。 |
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●苦難と復興
昭和9年には資本金を30万円に増資し、社名を現在のイチジク製薬株式会社に改組しました。
翌10年には北海道産特種白土の事業と合流し、資本金を50万円に増資し、白土主剤の「イチジクしもやけ温湯素」「イチジク美身温 湯素」「イチジクぢの薬」などを発売しました。
その後、東京都家庭薬工業協同組合の理事長を12年間務めた湯浅巌が昭和14年に社長に就任したことにより、さらなる業績の拡大と組織の充実を遂行し、戦時企業整備も伴い、
関東一円の浣腸製造業5社を統合するまでに至りました。
しかし、昭和20年3月の東京大空襲により、本社・工場の資産および資料を一夜にしてすべて失うこととなりました。 |
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その後、湯浅巌のもと社員一丸となり、わずか4カ月後の7月には近くの牛島小学校の一部を借りて生産を開始。さらにその2年後には現在地(墨田区東駒形)に工場を建設するまでに復興し、戦後の礎を築きました。
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●新商品の開発
販売の増進を目指す一方で、昭和50年より品質の向上のためにGMPの考えを段階的に取り入れ、質の安定化に取り組みつつ、生産能力向上を重視した充填機や包装機械を導入してきました。
平成に入ってからは、消費者のニーズに応えるべくメイン商品である「イチジク院腸30」の5個入と10個入を併売しました。 平成11年には、田村廿三郎の思いと湯浅巌および相良高三郎の情熱を受け継ぎ、渡辺弘正が社長に就任しクリーンルームを兼ね備えた新GMP適合の本社工場ピルを完成させました。 |
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また、「イチジク浣腸」においては、長年の形状を自ら改善、改良した「イチジク浣腸30E」「イチジク浣腸40E」を平成13年12月より上市しました。
この浣腸は、従来品よりもノズルが長く、 ネックにジャバラを付けたことにより、体格が良くなった現代人にもマッチした商品であり、今後増えるであろうと予測される在宅介護にも使いやすくなっているという特徴があります。
消費者の方に喜んでもらえる商品を創作し、情熱を持って突き進む姿勢こそが、どんな時代にもロングセラーを生み出す核心と思い、今後も励んでいく所存です。
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