大学目薬

 
 
●目薬の誕生
 日本で初めて点眼薬は、時代の先覚者といわれた岸田吟香が慶応 3 年に出した「 精リ ( せいき ) 水 ( すい ) 」でした。当時横浜にいた宣教師で眼科医でもあった米国人ヘボン氏によってこの処方が伝授されたとあり、その処方は硫酸亜鉛1:水450でした。
初期の大学目薬


●大学目薬の誕生

 明治30年頃には精リ水なるものは衰退しました。点眼薬が世に知れ始めたのは当時、大阪・北浜で「ヘブリン丸」という風邪薬を主力製品にしていた「田口参天堂」が創業9年目に発売した「大学目薬」でした。明治32年8月の東京朝日新聞に「世の進むに従ふて目薬にもこんな立派な物が出来ました」という自信に溢れた広告をしたことで「大学目薬」の名はさらに世に広まっていきました。

● 目薬の容器
 百年以上の歴史のなかで特筆すべきは、昭和7年にガラス製容器の革命というべき両口ガラス点眼瓶の登場でした。この容器は両口にゴム帽が取り付けられ、一方が点眼口、他方が指押し部分でした。しかし、太平洋戦争中はゴムの供給が激減したため、指押し部の閉じた部分を軽く叩いて滴下する「一口タタキ」点眼瓶が開発されました。昭和20年代後半からプラスティック合成樹脂が日本で使用され始め、点眼容器への応用開発もスタートしました。その1つがPP(ポリプロピレン)容器でした、これは半透明で固いという難点はありましたが、その後の医療用点眼容器の原型となりました。
両口ガラス点眼瓶入りの大学目薬
その後、昭和37年には軽くて割れにくく、点眼しやすい、携帯性と透明性に優れたプラスティック(ポリカーボネート製)点眼容器を当社で開発し、大学目薬にも採用しました。当時爆発的な人気を博し「点眼容器の革命」といわれました。それは同時に約100年続いたガラス容器の終焉でもありました。
大学目薬の金看板
● 大学目薬の価格
 大学目薬発売当時は、かけそば一杯が1銭5厘だったのですが、大学目薬は一本10銭しました。大正7年頃には20銭だった価格が太平洋戦争の始まった昭和16年頃には30銭に値上げされています。その後「価格等統制令」によって昭和17年には80銭、戦争末期の昭和20年7月には2円50銭になっていました。戦後、自由経済の影響で価格統制の力がなくなり、昭和26年に50円、昭和39年には100円と、時代と共に価格も変遷してきています。

● 大学目薬はセルフメディケーションの元祖
 大学目薬は発売以来、硫酸亜鉛を主薬の一つとして配合し続けている一方、時代の要請に合わせて処方改良を行い、抗ヒスタミン剤(マレイン酸クロルフェニラミン)や血管収縮剤(塩酸ナファゾリン)なども配合するようになりました。しかしながら社会情勢が変わろうとも、パッケージには今もなお、めがねと髭を蓄えた博士の顔の商標を残しています。現在は当社主力品の座をサンテブランドに譲ったものの、100年以上継承された歴史は今も輝きを失なっておらず、いまだ多くのファンに支えられており、この目薬でないといけないというユーザーもいます。明治時代から100年以上も人々に愛用されて続けてきた大学目薬とは、今の時流であるセルフメディケーションの元祖となる目薬ではないでしょうか。

現在市販されている商品