● 当社の沿革
   廃藩置県後、明治政府は主にヨーロッパから医師を招き西洋医学の普及にあたり現在の県立病院の前身を形づくりました。その当時の脱脂綿・ガーゼ・繃帯等の衛生材料はヨーロッパの輸入品でした。 当社は代々家業として埼玉県比企郡で、綿布・蚊帳・風呂敷などの織物業を営んでおりましたが、明治32年(1899年)に先々代玉川惣右衛門により、衛生材料加工業を開始し、衛生材料の国産化しました。 開業場所は織物業の関係で、現在地である千代田区神田東紺屋町(住所区画整理により現在は千代田区岩本町)で店を構えました。

 その当時は今川橋の川が流れ、その川を利用して何軒もの染物屋さんが染物を洗っている風情のある町並みであったそうです。
  開業5年後の明治37年(1904年)日露戦争が起り、軍隊の補給物資として採用され、開業の基礎時代を確立しました。その後大正12年(1923年)に先代玉川幸吉が家業を継承し、昭和4年(1924年)玉川合名会社を設立し、本格的な病院への売込みがなされました。
  翌昭和5年、陸軍省指定業者となり、太平洋戦争を迎えることとなりました。


陸軍納入時代の当社の社章

  終戦後は、軍への優先的な補給物資がなくなりましたが統制経済下での厳しい製造販売が行なわれました。
 昭和22年(1947年)株式会社玉川商店に改組し、戦後の統制経済の中で、衛生材料中央販売会社の登録を受け、統制下における衛生材料の配給販売をしました。 そして、昭和29年(1954年)に現会社名である、玉川衛材株式会社に改組しました。
 又、この年は「アクリノール」の原料が初めて日本で国産化された年でもありました。われわれ衛生材料業者にとりましても、生理用品の目的で使用されていた脱脂綿も、アンネを始めとする紙綿の出現により業界も変革の時期を迎えることになりました。そして当社も時代の変革に合わせ、医薬品の製造を検討するに至りました。

● アクリノールの生い立ち
  アクリノールはアクリジン系の殺菌薬で、大正2年(1912年)ドイツ人Ehrlichが本品の母体であるアクリジンに抗トリパゾーマ作用があることを発見する事から始まります。更にその弟子にあたるBrewningは、色素の殺菌性についての研究を続け、1917年アクリフラビンを発見しましたが、その化合物は毒性が強いので、Morgenroth・Schnitzer らが改良し、1919年アクリノールを発表しました。
  大正10年(1921年)ドイツ Bayer社がこの塩酸塩をRivanolの名前で市販したのがはじまりです。しかし当初は水に溶けづらい塩酸塩から、水に易溶性の乳酸塩に変えられ、今日に至っております。


● 当社のOTC薬第一号発売
  「タマガワ リバガーゼ」

  当社の医薬品のなかで一番歴史のある製品は、「ヨードホルムガーゼ(外科処理時挿入ガーゼ)」で昭和10年より製造され現在も製造しております。「アクリノールガーゼ」も戦時中病院用として製造しておりましたが、一般薬局薬店用として小瓶に詰め、「リバガーゼ」として本格的に製造販売したのは昭和29年(1954年)からです。先輩諸兄の努力により、昭和35年から40年代にかけ、「タマガワ リバガーゼ」として全国でお取り扱いをいただけるようになりました。


リバガーゼの旧パッケージ

   現在アクリノール等の殺菌消毒薬の再評価が終了しましたので殺菌消毒薬としての定められた効能効果しか記載は出来ませんが、特に戦時中の軍医の文献の中には、凍傷の完治の報告、肉芽発芽作用、シップ作用、内服による疾病の治療例など数多くの報告が残っております 。
 また、副作用については当社製品は若干濃度を濃くしておりますが、クレーマーによる問題提起以外、アクリノールそのものについての副作用はありませんでした。ただし、アクリノールが色素製剤ですので衣服に付着した場合は色が落ちませんので、使用上の注意の通りご注意願います。


● 今後の方向性について

  当社は医療の現場から一人一人の生活者の方々のために健康衛生を科学し、製造を続けてまいります。現在ドラッグストア、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ホームセンター業界では、リバガーゼのほかに、「マッキン」、「救急絆創膏(リバン・マッキンバン)」、「ポビドンうがい薬」、「熱ひやしま専科(冷却ゲル)」、救急セット、ガーゼマスク、不織布マスク、花粉グッズ、腰痛帯を中心とするサポートベルト、その他衛生材料・衛生用品を製造しておりますが、今後は新製品の開発に努力し、社会に貢献出来る会社をめざしてまいります。