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養命酒 養命酒製造株式会社 |
| ■創始の精神を守り400年 養命酒は.約400年前の慶長7年(1602年)、信州伊那の谷・大草(現:長野県上伊那郡中川村・大草)の塩沢家当主塩沢宗閑翁が「世の人々の健康長寿に尽くしたい」と願い創製したものです。 |
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| ■慶長のある大雪の晩に 伝説によると.慶長年間のある大雪の晩、宗閑翁は 雪の中に倒れている旅の老人を助けました。・・・・・・ 三年間、老人は塩沢家の食客となっていましたが 「海山の厚き御恩に報いたく思えど、さすらいの身の悲しさ。されど自分はいわれある者にて、薬酒の製法を心得ている」 と、薬酒の秘製法を伝授し.この地を去りました。 |
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■薬酒を養命酒と命名 これより宗閑翁は「世の人々の健康長寿に尺くしたい」との念願から、赤石山麓の奥深く分け入り、薬草を採取して薬酒を造り始め、 慶長7年、これを養命酒と名付けました。 |
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| ■評判が伊那谷の外にも広まり 当時.養命酒は土中にもとがめを埋め、 自然に熟成したものから順に.病気の人や貧しい村人に施していました。 やがて.その評判が伊那の谷の外にも広まり、 5里も10里も山越えをして 養命酒を求めに来る人が絶えなくなってきました。 「養命酒を飲むと瀕死の病人も一度は甦る」といううわさから、 「この病人はもう助からないかも知れないが、せめて養命酒だけは…」 というほど.ありがたがられました。 |
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| ■製法は一子相伝の秘法 文化10年、 尾州藩主が養命酒の製法について尋ねたという史実があります。 養命酒は、完成するまでに.2300日も要したこと、 その製法は塩沢家一子相伝の秘法であったこと などが記されています。 |
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| ■江戸中期の小説に登場 安永3年(1774年)刊行の小説“異国奇談和荘兵衛”には、長崎の唐物屋和荘兵衛が難船して漂流し異国巡りをした時、金銀宝玉国の大王が「養命酒の廻りが来て御悦喜浅からず侯……」 と記されています。 また、天明5年(1785年)に作られた長唄“春昔由縁英(はるはむかしゆかりのはなぶさ)”の一節に 「末は諸白諸共に千年不老養命酒……」 とうたい込まれており、 その頃、養命酒の名が江戸でも知られていたことがわかります。 |
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■養命酒の効用を一人でも多くの方々へ 「発祥地伊那の谷で 300年も飲まれ続けている養命酒の効用を より多くの方々に知っていただきたい」 との念願から、 大正12年(1923年)6月、家業としての事業を会社組織に改め、 全国的に養命酒の紹介を始めました。 戦前、1,000キロリットルに満たなかった販売量は、昭和40年代には1万キロリットルに到達。 その後も、多くの方々に本質に対する認知をいただき、海外での需要も増え続けています。 |
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