宇津救命丸株式会社

                 

●江戸時代に創製
宇津救命丸は、江戸時代の初期に創製された家伝薬です。その処方、剤型は約400年を経た今日でもほとんど変わっていませんが、その有効性や安全性は、長年の実績とともに最近の数々のデータで証明されています。
 宇津家は、以前、下野国(現在の栃木県)の国主・宇都宮家の家臣でしたが、豊臣秀吉による宇都宮家の取り潰しがきっかけで、慶長2年(1597年)に下野国高根沢西根郷(現在の工場所在地)に帰農しました。
 以来、宇津家は代々名主となり、その家業のなかで救命丸を製薬してきました。

 


掟<製薬信条>

●旅の僧の贈物
救命丸の由来は、一説によれば・・・ある日、宇津家の門前に倒れていた旅の僧を当主の権右衛門が手厚く看病したところ、僧が世を去る時にお礼として差し出した1冊の書物のなかに救命丸の処方が記されてあった・・・とされています。

●処方は秘中の秘、一子相伝
救命丸の処方は、秘中の秘として、当主がその子に口伝によって受け継ぐ、一子相伝のため、当主が屋敷の片隅にある「誠意軒」にこもって調合を行い、誰も近寄ることができなかったので、明治になって薬に関する法律が施行されるまでは、どんな成分で出来た薬なのか、当主以外は知る由もなかったと言われています。
 一昔前の成分表を見ると、一角、虎の眼、熊の肝、麝香・・・といった文字が並んでいます。


誠意軒

●領民に無償で提供
「宇津の秘薬」救命丸は、はじめは小作人や村の人々に無償で提供されていましたが、その優れた薬効によって、次第に評判となり、やがて関東一円から全国に広まっていったようです。
 また、救命丸を献上していた水戸の徳川一橋家から諸大名にも評判が伝わり、ますます名声を高めました。
 江戸中期以降には、旅籠や造り酒屋でも売られるようになり、一層その優れた薬効が知れ渡ったようです。
●万能薬から小児薬に
 大人向けの万能薬だった救命丸が、小児薬となったのは、江戸末期。栄養事情が悪く子供の死亡率が高いことを憂い、子供を助けたいとの思いから、幼児を対象として販売されました。


看板

●宇津救命丸と名称を変更
 やがて、明治に入り、製薬会社としての経営体系を確立し、全国の小売店で販売するようになりました。これにより「宇津の秘薬」救命丸は、「宇津救命丸」と名称を変え、小児薬の代名詞として広く、親しまれるようになったわけです。

●小児薬の総合メーカーを目指し
 宇津救命丸株式会社は、昭和36年に高根沢工場の近代化を図り、自然環境に恵まれたGMP工場として、すべての工程を自動化し、よりクリーンな製品造りを進めてきました。
 当社は、創業以来宇津救命丸だけを製造販売してきましたが、昭和57年にはじめて「宇津こどもかぜ薬」を発売したのをきっかけに、小児薬の総合メーカーを目指して、かぜシロップ、せきシロップなどのかぜシリーズや、ドリンク、整腸剤、下痢止め、軟膏、モモの葉ローションなど、次々と小児用の新製品を発売しております。


現代の製品