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カワイ肝油ドロップ 河合製薬株式会社 |
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| ●一高助手 薬学博士、河合製薬株式会社創立者河合亀太郎は、明治9年(1876)5月21日、静岡県浜名郡中瀬村に生まれました。将来は官吏になる夢を描いていましたが、12年の父親の病死により、運命の岐路に立たされることになりました。 16歳の時に、年来の志望を捨てて中学を中退、私立薬学校(現東京薬科大学の前進)に入学し、首席で卒業、薬剤師試験に合格した後、直ちに北里研究所に入り、第一高等学校教授の助手として、医薬学志望の学生に有機化学の実習を担当しました。しかし、過度の勉強から胸部疾患に侵され、長期療養を余儀なくされて、断腸の思いで教職を去ることになったのです。 |
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●肝油研究の成功 亀太郎は元気を回復すると療養を兼ねて平塚の杏雲堂病院薬局長に24歳で赴任しました。病苦を痛感した薬局長は、患者に対しての最良の理解者であり、調剤に精魂を込めていました。 その頃医師が保健強壮剤として推奨する肝油は強烈な魚の生臭さを持っていたために、服用しにくいという欠点がありました。これが肝油改良を終生の研究対象に取組む執念のきっかけとなりました。この”服用しやすい肝油”研究は学会にも高く評価され、後に「ミツワ研究所」主任研究員に推薦されました。運をつかんだ亀太郎は当年34歳、すでに経験済みの計画性に富む研究要領で、粘り強く、着実に成果を築いて行ったのです。 |
| 特に意欲を注いだのは、独自の肝油研究で、年来の宿願であった小児にも服用しやすいドロップ式の肝油製剤の研究に成功し、ゼリー状のドロップの形でビタミンを安定に保つ技術を開発。これを「肝油ドロップ」と名付けました。たゆまぬ研究の努力が実を結び、昭和6年「日本産タラ肝油の生薬学的研究」と題する論文が、審査を通過して、薬学博士の学位を授与されました。すでに肝油に関する特許も数件獲得されており、亀太郎が心血を注いだ肝油の創造的研究を大別すると、初期は、肝油の最大の難点である脱臭と、有効成分を濃縮する方法の発明が多く、後期は主に溶在するビタミンの安定化に関する研究で11件の特許を得たことになります。
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●日本から世界へ 亀太郎は、〜健康なくして教育はありえない〜という信念のもと、昭和7年に学校用肝油ドロップの製造販売を開始しました。以来現在に至るまで、70年間私たちはずっとこの理念を伝え続けて参りました。この亀太郎の思いは多くの教育者と子供たちの両親から支持され、昭和30年頃には日本全国の小学校に普及するにまで至りました。その後時代は移り変わりましたが、現代になってもこの理念を伝え続けるためには小学校・幼稚園・保育園などの教育機関と深い関わりを継続していくことが不可欠であると考えています。 |
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| そのため、日本全国の各都道府県に営業社員を配置し、きめ細かな対応を目的として子供たちに今何が必要なのか常にニーズを探っています。
また、教育機関以外でもお客様がいつでもどこでも肝油ドロップをご購入いただけるように薬局・薬店での販売を強化するとともに、生活協同組合や健康保険組合等の事業所へ向けても積極的な活動を展開しています。
健康な暮らしは、いつの時代でも変わらない永遠の願いであり、これを夢見る人々の思いに国境などありません。海外諸国への輸出業務が開始されたのは昭和54年のことです。 平成7年には中国・香港・台湾においてテレビCMが開始されました。からだに必要なビタ ミンを手軽に補える「カワイ肝油ドロップ」のラインナップは、今、アジアの国々からも注目を集めています。 |
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